日本のギター史でよく使われる「ジャパンビンテージ」という言葉。その本当の意味をご存知でしょうか?
1970年代から80年代、日本の職人たちは情熱と技術を武器に、アメリカ本家のギターに迫る、いや時にはそれを超えるクオリティの楽器を次々と生み出しました。その代表格といえばGreco、Tokai、Yamahaといった有名ブランドですが、その影で静かに日本の音楽シーンを支えていたファクトリーがありました。
それが春日楽器製造株式会社です。
春日楽器を創業したのは、後に民社党委員長となり政界でも名を馳せた春日一幸(かすが・いっこう)氏。春日氏は、詩人を目指して挫折を経験し、その後実業家、貿易商として成功を収めた後、政治家に転身した異色の人物。彼の波瀾万丈な人生の一幕を飾ったブランドが「KASUGA」でした。
本記事では、この春日一幸氏が立ち上げた春日楽器の60年以上にわたる歩みを、幅広く、かつ深く解説します。
なぜ政治家が楽器作りに取り組んだのか? どんなギターが生まれ、どのような影響を日本の音楽シーンにもたらしたのか? そして、なぜその歴史に終止符が打たれたのか?
その背景にある、春日氏の経営者としての苦悩や政治家としての多忙な日々まで、可能な限り調査し、わかりやすくまとめました。
晩年、彼は腹心の塚本三郎氏に「俺は未だ会社を始末できない」と漏らしたと言われています。これは政治の道で成功しながらも、自ら興した事業に十分な時間をかけられなかった無念さの表れかもしれません。
春日楽器が操業を停止したのは、春日氏の死から7年後の1996年ごろ。そのリーダーシップが失われたことで、長年抱えていた課題が表面化したともいえるでしょう。
さて、この記事を通じて、春日楽器の知られざる物語をひもといてみましょう。黎明期から黄金期、そして忘れられた終焉まで。さらに、いま春日ギターを手に入れるための具体的なガイドもご紹介します。
2. 名古屋サウンドの誕生と楽器製造拠点としての興隆

黎明期:楽器製造の本場名古屋で設立(1930年代)
春日楽器の創業は、戦前に遡ります。場所は、弦楽器製造の中心地だった名古屋。ここは明治時代から木材の集積地として栄え、木工産業が盛んな土地でした。
1887年、鈴木政吉氏が日本初のバイオリンを作り、鈴木バイオリンを創業。第一次大戦を機に世界的なメーカーとなり、名古屋は日本の弦楽器産業の拠点へと成長します。
一大産業となった楽器製造に、若き春日一幸が足を踏み入れたのは、1935年(昭和10年)のことでした。彼は鈴木バイオリンの職人を招き入れ、春日楽器製造株式会社を設立。当時の鈴木バイオリンは生産が追いつかないほどの活況で、市場には新たな製造者の参入余地がありました。
春日楽器は、後に世界的ギターブランドとなる「ヤイリギター」の矢入兄弟も一時在籍していました。今にして思えば、まさに「才能の交差点」。春日楽器は技術を磨き、独立の夢を育む場でもあったのです。
鈴木バイオリンから続く名古屋派の流れの中で、春日楽器は主要な地位を築いていきます。
創業当初はバイオリンやマンドリンが主力で、ギターはクラシックのみ。これは当時の市場ニーズを反映するものでした。
戦後復興とギターへの転換(1950年代~1960年代)
戦後の復興期、日本の音楽シーンには大きな変化が訪れます。アメリカからもたらされたフォークソングやロックンロールの流行により、クラシックギターやバイオリンに代わって、スチール弦のアコースティックギターやエレキギターが人気を博します。
春日楽器も素早く動きました。弦楽器製造のノウハウを活かし、アコースティックギターとエレキギターの生産へシフト。本社工場に加え、輸出用アコギを作る扶桑工場(愛知県)、エレキギター専門の岩村工場(岐阜県)など、地域に複数の工場を展開し、分業化を進めました。
この時代の春日ギターは、現在も中古市場で見かけることができます。1960年代のクラシックや初期アコギは、ジャパンビンテージの原点を今に伝える貴重な存在です。
またこの頃作られたコピーモデルのエレキギターHeerby(ハービー)は、その精巧な造りに定評がありました。
名古屋という土地に根ざし、鈴木バイオリンや矢入ギターなど同地域の名工たちとともに、春日楽器は日本のギター産業の基礎を築いていきます。
今日手にするヴィンテージの春日ギターには、「日本のギター作りのDNA」を感じさせるモデルが多く、荒削りながら光るものをもったモデルが多数見つかります。
ジャパンビンテージの黄金期:1970年代の春日ブランド群

1970年代、日本のギター製造はひとつの黄金期を迎えます。
輸出が増え、同時に国内の音楽ブームが内需を牽引。生産量・品質ともに大きな飛躍を遂げる時期にあたります。春日楽器も自社ブランドを巧みに使い分け、多くのギターファンの期待に応えました。
K.Country:アコースティックの王道
1972年ごろに誕生した「K.Country」は、春日楽器の主力アコースティックブランドとなります。手頃な価格から高級モデルまで揃い、「春日といえばK.Country」と言えるほどの顔となりました。
- D-180, D-250, D-300, D-350など:合板ボディながら強度が高く、音量も豊か。「爆鳴り」と評される音の太さが魅力で、フォークブームの当時も人気がありました。
- HCシリーズ・ハカランダ仕様モデル:職人手作りのハイエンド機も生産。D-400などは希少なハカランダ材(ブラジリアン・ローズウッド)の合板を採用し、今も高い人気を誇ります。
- ラダーブレーシング:初期モデルには「ラダーブレーシング」という独特の力木構造が採用され、素朴で温かい「昭和の音」を奏でます。
3.2. Heerby:高精度のレプリカモデル
エレキギターの主力ブランド「Heerby(ハービー)」は、アメリカ製ギターの精巧なコピーで人気を集めました。
ブランド名は春日一幸の「春日」を音読みして「ハルビ」→「Heerby」と名付けたもの。創業者の名前を冠することで、主力モデルであることを表しました。
- レスポール・タイプ(LSシリーズ、LGシリーズなど):高品質なレスポールコピーは今もコレクターズアイテムとして高額取引されることがあります。
- その他:ストラトキャスターやテレキャスター、リッケンバッカーのコピーモデルまで幅広く展開。
Heerbyは「訴訟時代」のコピーモデルの中でも、品質・完成度・サウンドが揃った実力派ブランドとしてマニアから支持されています。
3.3. The KASUGAとその他のブランド群
「The KASUGA」は最上位機種のみに付けられた特別なブランド名です。アコースティックの「BG-120」やエレキの「SC-800」「SC-1200」は、手塗りニスや希少材を使った贅沢な仕様で伝説的存在となりました。
他にもGanson、Scorpion、Kimberlyなど、短期間だけ展開されたブランドもあり、こういったギターは現在コレクターの蒐集対象ともなっています。
3.4. ギターだけではなかった:春日バンジョー
春日楽器はギターだけでなく、バンジョー製造にも長けていました。ギブソンの「マスタートーン」を再現したモデルや、本格仕様の独自モデルまで、幅広いラインナップでブルーグラスシーンを支えました。今も国内外に使用プレイヤーがいます。
4. 縁の下の力持ち:OEMメーカーとしての春日楽器
春日楽器は自社ブランドだけでなく、他社ブランドの楽器も作るOEMメーカーとしても大きな実績を残しています。この「影の仕事」が、春日楽器の技術力の高さを示しているともいえるでしょう。
4.1. 国内大手との提携:ヤマハ、Gaban、ローランド
- ヤマハ:日本最大手のヤマハが一時的にエレキギター「SG」シリーズの製造を春日楽器に委託。ヤマハが認める技術力を持っていたことが裏付けられます。
- Gaban:1972~74年頃、神田商会系のGabanブランドのエレキギターを一手に担当。今も中古市場で人気です。
- ローランド:電子楽器メーカーのローランドも、黎明期に「RK Herby」ブランドで春日製のギターを販売。ギターシンセ開発でも木工技術が必要だったことがうかがえます。
4.2. アメリカ市場への進出:「ELECTRA」ブランド
春日製エレキギターの多くはアメリカで「ELECTRA」ブランドとして販売され、高級ギターとして高い評価を得ました。日本の品質が世界でも通用した証です。
4.3. 最高峰の証明:ESP Navigatorの製造委託
春日楽器はESPのフラッグシップ「Navigator」初期モデルの製造も担当。ナビゲーターは一切妥協しない高級ラインですが、その製造を任されたことは春日楽器の技術力が最高レベルだった証明です。
これらOEM製造における実績は、春日ブランドのギターが「ただのコピーモデル」ではないことを裏付けています。ヤマハSGやESP Navigatorと同じ工場・職人が手がけた製品。そう考えると、KASUGAの実力はかなり高かったことがわかります。
5. 一時代の終焉:春日楽器の衰退と操業停止
60年以上にわたり日本の楽器業界に君臨した春日楽器も、時代の波には抗えませんでした。外部環境と内部の課題が重なり、静かにその歴史を閉じることとなります。
経済的な逆風
1980年代以降、音楽はエレクトロニック寄りになり、アコースティック楽器市場全体が縮小していきました。春日楽器が得意としたアコースティックギターやバンジョーの需要も低迷しました。さらに、韓国・台湾製の安価なギターの台頭で、価格競争も厳しさを増します。
経営とリーダーシップの課題
創業者の春日一幸氏は会社を一代で築き上げたカリスマでしたが、後半生は政治活動に多くの時間を割いていました。事業承継や長期経営の課題には十分に向き合えなかった面もあったようです。1989年の春日氏死去後、リーダー不在が問題となり、会社は新しい時代にうまく適応できなくなっていきました。
静かな閉幕
晩年は業績もふるわず、1996年ごろ、春日楽器はひっそりと操業を終えました。日本ギター史に名を刻みながら、大きな注目を浴びることもなく静かに幕を閉じたことから、忘れられたブランドになってしまいます。
6. 現代のコレクターズガイド:春日ギターを手に入れるために
春日楽器の歴史と魅力を知ったら、次はぜひそのギターを手にしてみたくなるはず。50年近くたった今でも春日ギターは市場で見つかります。ここからは、実際に探す・買うためのヒントを紹介します。
6.1. 春日ギターを探す場所
- オンライン・オークション(ヤフオク!、メルカリ):多種多様なモデルが出品されており、掘り出し物も期待できます。ただし状態はまちまちなので、説明や写真は念入りに確認を。
- 楽器専門のオンラインモール(デジマート、J-Guitar.com):全国の楽器店が出品。プロの調整済みで安心ですが、価格はやや高め。良品が見つかりやすいのが魅力です。
- ヴィンテージ楽器専門店(例:TC楽器):専門スタッフに相談しながら、実物を試奏して選ぶことができます。
6.2. 春日ギター市場価格ガイド(2020年代後半)
- K.Country D-200/D-300:1~2万円(美品2.5~4万円)
- K.Country D-400:1.5~3万円(美品4~6万円~)
- Heerby LS-500/LS-700:2.5~4万円(美品5~8万円)
- Heerby SA-900:6~9万円(美品10~13万円~)
- The KASUGA SC-800:5~7万円(美品8~10万円)
- Kasuga Banjo (RBシリーズ):3~6万円(美品7~15万円)
(※状態・希少性・オリジナルパーツ有無で大きく変動します)
6.3. 購入前チェックリスト
- ネックの元起き:アコギでは最重要チェック。元起きがひどいと弾きにくく、修理も高額に。
- トップ板の変形・ブリッジの浮き:弦の張力での変形や、ブリッジが浮いていないか確認。
- 力木の剥がれ:ボディ内部も要チェック。剥がれていたら音や強度に影響が出ます。
- ネック反り・ねじれ、フレット摩耗:ネックはまっすぐか、フレットのすり減りはどうかも大切です。
- ペグやピックアップなどパーツ類:オリジナルかどうか、動作がスムーズか確認しましょう。
6.4. ノスタルジーの音:期待値のマネジメント
ヴィンテージ春日ギターは、現代ギターとは違う独自のキャラクターを持っています。太めのネックや独特なフレット処理、どこか懐かしく温かみのあるサウンド。そんな「昭和の音」を楽しむことが一番の魅力です。最新ギターのプレイアビリティではなく、時代を生き抜いてきた個性を味わいましょう。
6.5. 修理とメンテナンス
もし修理が必要な場合は、国産ビンテージに詳しいリペアショップがおすすめです。大掛かりな修理は職人の腕で仕上がりが大きく変わるので、信頼できる専門家に相談しましょう。
7. まとめ:春日楽器が遺したもの

カスガギターは、昭和の日本が生み出した「もうひとつのジャパンビンテージ」です。
10代の頃、憧れのアメリカ製ギターは手が届かなかった。そんな私たちも、国産ギターでさまざまな楽曲を演奏しました。あのころ弾いていた“名もなきギター”が、実は春日楽器の一本だった…そんな事もあるはずです。
カスガギターは、名古屋の職人魂と独自の発想で磨き上げられ、K.CountryやHeerby、The KASUGAといった名機を数多く世に送り出しました。黎明期から黄金期まで、ギターに込められた情熱と技術は、今も音にしっかりと宿っています。当時の面影を残す個体は、現代の市場でも出会うことができ、昭和の温かみあるサウンドを再び味わうことができます。
たとえばK.Countryの良品は今でも2〜4万円台から入手可能で、HeerbyやThe KASUGAの一部モデルはコレクターの間で高く評価されています。さらに、ヤマハSGやESP Navigatorも、一部は春日楽器製造で作られました。
昭和の空気をまとう一本を手にしたとき、あの日の自分と再会できるかもしれません。新たな思い出を刻む「相棒」を、もう一度探してみてはいかがでしょうか。